だから好きだってイったじゃない!

ラブドリームハピネスッ

オンラインライブは現場を失ったオタクを救うのか?

こんな世の中になってしまいましたが、何かを推し、何かを愛するオタクのみなさまはいかがお過ごしでしょうか?

キャパが大きければ大きいほど再開に時間がかかってしまう現状。ドームクラスの動員を持つグループを追う身として、辛く悲しい1年となった。HIGH&LOWに出会いブラック企業はやめたし、新しい仕事も順調、何より今の推しであるEXILE TAKAHIROが常に楽しませてくれるので、人生は最高だったのだ。毎日楽しかった。あの日まで。

公演中止、その四文字を見て、冗談じゃなく失神しかけたのはイオンモールのマックでビッグマックを口に押し込んでいた時だった。場所は京セラドームの横、この日、私はEXILEのライブのために東京から夜行バスに揺られて大阪に来ていた。

2年前まで遠征なんてしたことのなかった、二次元のオタクだったが、LDHのオタクになってから気づけば毎月のように大阪や名古屋に足を運ぶ生活を送っていた。

2月26日は、1月から始まったEXILEのドームツアーの最終日。平日であったが、私と友人はそれぞれ休みを取って、ツアーのオーラスを迎えるべく大阪の地にいた。

EXILEのメンバーは公演前にもよくインスタなどのSNSを更新してくれるので、それをチェックしながらの昼食。グッズに並んだり、会場周辺のゲームコーナーなどで遊んでいれば、開演までの5時間なんてあっという間で、すぐにライブが始まる、それを疑っていなかった。

ところがその瞬間はきて、公式からライブの中止が発表された。「大阪には夜行バスに乗りに来た、夜行バス大好き―!!!」と言いながら、時間を潰した後にまた夜行バスで東京に帰った。

RISINGS SUNなカラーにしよー!と前日に塗った、浮かれたオレンジのネイルを車内でぼんやり見ながら、ただ悲しいな、と思った。

大して波のある人生を送っていないこともあり、私の人生でもかなり“かわいそうレベル”の高い1日となってしまったこの日、おそらくこれから先も忘れることはないだろう。

エンタメを啜って生きるオタクとして、あの日から考えたことがたくさんあって、ずっと何かしら文章にしたいと思っていたんだけれど、決着がつかないまま年末を迎えてしまった。

ただ、年も間もなく明ける12月29日に私の中で一区切りついた出来事があった。それは推しのオンラインライブだ。私の推しグループEXILE、彼らは12月29日に新生EXILEという形で初ライブを行った。

新しい体制で、とはいってもそもそもEXILE名義でのオンラインライブは初である。今年、ライブという現場を失ったLDHは、割と早い段階の7月からLIVE ONLINEといった名前でオンラインライブに取り組んでいて、7月、9月、10月-11月、12月、と殆ど毎月コンスタントにライブを行っていた。

グループ混合のライブなども存在しつつも、単独参加だと、多いグループでは4回。それもすべて新しいライブを披露しているのだ。

LDHのオンラインライブは全て生配信となっており、バラエティコーナーを含んだ形式や、過去曲を中心にパフォーマンスするものなど、バリエーションが多岐に渡っているのも特徴で、三代目とGENERATIONSについては私もどちらも4度のライブをすべて見ており、毎回異なる色を見せてくれて、どれも満足度が高かった。

そして、そんなオンラインライブにEXILEは12月が初参加となった。これに関しては、メンバーのほとんどがグループ兼任など、様々な事情があったのだろうと予想できるが、正直なところ、2回目のオンラインライブが発表された際にEXILEの名前がなかったのは本当に辛かった。なんで私は推しがライブで観られないんだろう、と、とにかく悲しかったのは覚えている。 

振り返れば限界オタクの笑い話だけれど、あの頃本当に精神的に厳しかった。ライブに行きたい。行きた過ぎて推しの歌詞を写経のように紙に書いてた、ちょっとやばいな、と思った。『君の夢を輝かせたくて』という歌詞を書いて、「推しの夢、輝かせたい」と泣いた。結構やばいな、と思った。自粛期間中にLDHが無料公開してくれたライブ映像を観ながら吐くほど泣いて、これはマジでやばいと思ったけれど、まだ底があった。

「ライブ(観られなかったけど)でできた傷は、ライブで癒すしかない。現場しか癒せない」と、2月26日にも一緒に行動していた友人と通話で話したことを覚えている。でもその現場がない上に推しのんオンラインライブもないので、傷は化膿して、ぐちゃぐちゃになってしまいそうだった。

時間はあるのになんだか毎日パッとしなかった。それは現場がないからだし、自分がどれだけエンタメに依存していたのかわかった。

そして12月29日、待ちに待ったEXILEのオンラインライブが生配信で行われた。

ここではあえて彼らを新生EXILEと呼ぼうと思う。彼らは間違いなく、新しいEXILEを構築したのだ。

ここを読む人がEXILEに明るいかどうかはともかく、とりあえずEXILEは11月に人数が減った。ボーカルが1人卒業したのだ。よく「EXILEって何人?」と聞かれるが、現在は14人だ。そして、その卒業発表から2か月もしないうちに、彼らは自分たちの新しい姿でのライブを私たちに見せてくれた。このスピード感も、もしかしたらオンラインならではなのかもしれない。

ライブの前にメンバーから「後先考えないセットリスト」「リハの後に関節がイカれた」「足がつった」などの言葉で語られていたが、誇張ではなく、パフォーマーはほとんど2時間弱踊りっぱなしだった。

EXILEは年齢幅が広く、20代と40代が同じグループに存在している。今20代の自分だって「24歳過ぎてからメッチャ身体重くない?」とナメた言葉が出るくらい体力の衰えを感じることがあるのに、40代が20代と同じ運動量で踊るのは、一体どれだけ努力しているのだろう。若い世代だって、ダンス歴もステージの経験数もまったく違う先輩メンバーの隣で踊るためにどれだけの努力が必要なのだろう。

兼任のメンバーは厳しいスケジュールをこなして、このステージを作った。そしてセンターでメインボーカルを背負うことになったTAKAHIRO、ボーカル&パフォーマーとしてこれまで以上の活躍を見せるSHOKICHIとNESMITH、全員の熱量が画面の向こうから伝わってくるようだった。

常々思っているのだけど、ファンにとって何よりも大事なのは安心、なのだと思う。熱狂や興奮は後からいくらでも火を点けられるが、安心という地盤がなければ、応援し続ける上で負担がかかりすぎるのだ。新生EXILEはすべての不安をパフォーマンスで掻き消してくれたように思う。

そして彼らが大きく変化することを選んだことにも私は驚いた。19年の歴史と財産のあるグループだ、変化をするには何らかの痛みを伴うだろう。

それでも彼らは、初ライブをやるにあたって、セットリストを定番のヒットチャートを詰めていた過去のものから大幅に変え、パフォーマーのフォーメーションを変え、ボーカルのパート魅せ方にも大きな変化を加えた。

オンラインライブを終え、一番最初の感想は「これが見たかったEXILEだ」だった。EXILEを好きになる前にイメージしていたEXILEに近かった、というのも変な表現だけれど、昔からのファンならば、もしかしたら“戻った”と感じるのかもしれない。

EXILEのファンでない人にとっては意外かもしれないが、近年のEXILEはよく平和を祈る歌や、子供たちの未来を願う歌などを歌っていて、世間のイメージ的なオラオラな要素は薄くなっていたように思う。

それでも、私がEXILEを好きになったきっかけは、2018年から行われていたドームツアーだし、過去のどのEXILEも時代に合っていて最高だ。壮大なバラードで平和を祈るEXILEは健康にいいし、『浪漫の地球』も『愛のために ~for love, for a child~』も名曲なのだ。

それはそれ、これはこれで、今回のオンラインライブで、私はとにかく彼らの強そうな姿が好きだ、と再確認した。強い、と断言してもいいのだけれど、平和を祈ってるEXILEも世界平均で言えばかなり絵面が強い部類なので「強そう」とあえて表現したい。

新生EXILE、とにかく生命力に溢れている。映像を観ていると、メンバー全員が目に入るのだ。カメラワークだけの話ではなく、全員が「ここにいるぞ!!」と画面の向こうにいる私に主張してくるような気さえした。

一方で、フォーメーションの中にボーカルを含めた、14人全員で群である瞬間もある。そういう姿を見た瞬間に「優勝」という言葉が頭に浮かぶ。何に勝ったのかは分からないが、この一体感を浴びた時、私はドームのアリーナにいた。オンラインライブだというのに、Bブロックのセンター2列目でEXILEを見た時と同じ感動があったのだ。

彼らは揃って既存のものをぶっ壊して、新しいEXILEを構築した。まだ作っている途中といってもいいかもしれない。彼らがそれぞれ別のグループで得た経験や、技術が新しいEXILEの幅を広げていく。

大きなグループや名前の売れたものを応援していると、ファンでない人のノイズが聞こえてきたりするのは、今まで他のジャンルでも散々体験してきたことだ。でももう、彼らが最高なことは私が一番わかっていると思うと心もストロングになる。彼らの見せてくれたステージが、この時代にエンターテインメントを愛することへの安心と自信をくれたと思った。

ただ、ここまで「オンラインライブは最高!!」という話をしたけれど、今年あらゆるアーティストが行ったオンラインライブは、現場を失ったオタクたちの救いになったのだろうか?

余談だけれど、私はライブが中止になったショックで500円大のハゲができた。Twitterに書いたらバズって勝手にまとめ記事にされて、知らない誰かにコメントで「嘘乙」と書かれたのも記憶に新しい。ハゲに塩を塗らないで欲しい。

だけれど悪いことばかりではない。「ストレスの原因がなくなれば一気に生えるよ」と医者が言った通り、LDHのオンラインライブの初回以降、稲が伸びるようにグンッと髪は生えてきて、一か月程度で目立たなくなった。生えかけの髪の毛をショリショリ触りながら、「マジでライブが原因だったんだな」としみじみしてしまった。

髪は生えたし、初めてのオンラインライブは刺激があって大変楽しかった。だけれど、この時に私は失ったものをすべて取り戻せたのか?というと、取り戻せてはいないのだろう。

例えば仕事終わりに夜行バスに飛び乗って次の日のライブがある地方に向かうとか、チケットの当落だとか、座席の良し悪しだとか、会場での交流だとか、そういった刺激を含めて現場が好きだったのだ。

もちろん、そういう体験を失った代わりに、何のお酒を飲みながら観ようかな、とか、後で友人と通話しながらみようかな、とか、そいう別の楽しみ方はオンラインライブにはあった。これらももちろん楽しかったが、現場での熱狂や興奮にはまだ足りない。

それでも今、1年を振り返ってオンラインライブという形式でも、エンタメを体感できてよかったな、と私は振り返る。

この一年、LDH以外にも友人の誘われたり、自主的にもいくつかバンドやアイドルのオンラインライブや配信の舞台を見てきた。ライブの映像そのままの臨場感あふれるものや、ARを使用したオンラインならでは演出、ファン参加企画が凝ったものなど、どれも趣向を凝らして自分たちのエンターテインメントを画面の向こうから見せてくれる。

中には、配信環境なども含めてオンラインには向いてない、と感じるものも存在したが、時代が少し違えば失われていたかもしれない音楽が、どんな形であってもネットを通して応援しているファンの元に届く。そういう意味では、今が2020年でよかったな、という気持ちにもなった。

もちろん、観る側でもオンラインでのライブを苦手とする人もいるだろう。私はオンラインライブについては集中できるタイプだったけれど、実はライブ円盤を観るのがあまり得意ではないので、少し気持ちもわかる。

前の方にも書いたけれど、現場と比べたら100%ではないのだ。比べるものではないんだな、というのは当然だけれど、現場を失ったことへの100%の補填にはならない。

それでも今年、アーティストたちが音楽を届けようと配信をし続けたことで、今年1年、エンターテインメントの火が消えなかったんだと感じる。

大型のアーティストがオンラインライブを行えば、翌日のニュースでその話題が出る。例えばそんな些細なことでも、日本のエンターテインメントは少し存在感を取り戻す。

大小関係なく、好きなアーティストのオンラインライブのチケットを買えば、その事務所やアーティストにお金が入る。そこからスタッフへの給料が支払われ、そのお金の動きが、エンタメを延命させる。

どうしても、今は私たちが好きなものは蔑ろにされてしまう時代だ。秋ごろから少しずつキャパの小さいものは再開しているし、LDHも来年からドーム規模のライブを再開させる予定だけれど、それでも一年前と同じ状態を取り戻すのは、きっとエンターテインメントが一番最後になるだろう。

そんな中で、オンラインで開催、という選択肢と、オンラインで観る、という選択肢は、またみんなで集まってライブやイベントができるための、そこにたどり着くまでの道しるべになるのではないかと思った。

エンタメがなくても、それが直接の原因で人は死なないが、私はハゲたし、悲しい気持ちにもなった。自分の生き方にどれだけエンタメが必要で、救われてるのか気づくことができた気がする。

そして間もなく2021年、新しい年を迎える前に「ぜってぇ負けねえ」という言葉が浮かぶ。何と戦っているわけではないけれど、ままならない状況の中で、エンタメを愛する人たちが、負けない世界であって欲しいと思う。そして何かを好きな気持ちを、直接会えなくても大事に守っていきたいなと改めて感じた。

 

推しのFCイベでファンであることを許されて泣いた話

ファンとはなんだろう、と考える瞬間がある。追いかけ方に独特のネットリ感があるので自分のことをオタクと自称することが多いけれど、広義で言えば私も1人のファンだ。ファンは11人の心持ちがどうであれ、存在自体が推しの枷になる瞬間がある。応援してくれる存在であり、活動の糧であり、枷になったりガンになったり、活動の種類やアーティストの心持ちひとつとっても、私たちの存在は意味を変えたり変えなかったりする。


私たちの応援が、100%その人のためになるとは限らないし、歓迎されていない瞬間や応援の仕方は必ずある。少なくとも私は常に何かのファンでありながら、以前からその存在には少し穿った見方をしていて、応援する対象とは心の距離を置くことが多かった。本気で応援しても、本人は望んでいないかもしれないというネガティブを拗らせていたのだ。


話は戻り、現在の推しであるEXILE TAKAHIROは、ファンが敵に見えたことがあると話した。オーディション以降、常に一段が高すぎるステップアップを求められ、グループの看板として漠然とした大きな存在に試され続けていたであろう推しのこの言葉は、最初に目にしたときからずっしりと私の頭に溶け込んでいる。


ここで一つ考えるのは、私は推しに受け入れてもらいたいのだろうか?という点だ。推しは応援されたくない時もある、ファンは心の底からは歓迎されないのが前提だ、という予防線を張るのは、自分の応援を受け入れ欲しいという気持ちの裏返しなのかもしれない。


推し活や応援とは一種、コミュニケーションのようなものだと思う。距離が近ければ近いほどその意味は強くなり、地下ドルだったりコンセプトカフェの店員だったり、直接会えるような関係性であれば、それは相互のコミュニケーションに成り得る。しかし、ドームクラスのアーティストという存在との関係であれば、話は別で、コミュニケーションは一方的となる。アーティストの存在が大きければ大きい程、ファン11人の存在感は希薄になり、透明な概念のようなものになっていくような気がしていた。


直接話したこともない、それでもTAKAHIROさんの歌が好きで演技が好きで、ファンと接する姿が好きで一方的に応援させていただいていた。これまで彼を推して一年ほどそうだったし、これからもそうだと思っていた。

しかし、ファンクラブイベントとされた『EXILE TAKAHIRO道の駅2019』で、私は頭を殴られた。ドームクラスのアーティストの公演でありながら、「推しとコミュニケーションを取っている、ファンであることを許されてる」二階席の一番端っこにいた私は確かにそう感じたのだ。前置きが長くなったが、これは残すところ1公演となった推しのFCイベントに通ったオタクが、推しにファンであることを許され(たと勝手に思って)、涙を流した出来事についての日記である。




道の駅追いかけて全国行脚(『TAKAHIRO 道の駅2019で全国行脚する限界オタクの備忘録1』https://togetter.com/li/1409721)をして、はや3ヶ月。7月下旬から始まった道の駅も残すところあと数公演となり、わたしも残すところ1公演の参加となった。増えていく半券を見ながら、寂しい気持ちと温かな思い出が両方溢れる。ライブはもちろん、さまざまな観光地を巡りながら回った道の駅の遠征旅行は本当に楽しかったのだ。沖縄のファイナルが終われば、きっと私は未来の話をしたくなるだろう。その前に、この感情にラベルを貼らなくてはと思った。


時は、114日、愛媛公演での出来事だった。前々日の三代目の名古屋ドーム公演後に夜行バスで徳島に入って道の駅の徳島公演に参加し、翌日早朝から愛媛に移動するという相変わらずの限界遠征で私は愛媛公演の会場に足を踏み入れた。


最後の先行で取った座席は2階席の中で1番後ろだったが、行けるだけで嬉しかった。FCイベントという形式でトークも多く、9回目の参加でもずっと新鮮な気持ちでいられた。既に10回近く聴いたセットリストも、ホールによって響き方がまったく異なるし、本人が「歌い続けた方が喉の調子が良い」と話していたようにTAKAHIROさんの歌声も常に進化を続けていると強く感じた。道の駅はバンドメンバーやスタッフからの愛も感じる素晴らしいイベントだ。


彼は観客一人一人に届くように、丁寧に丁寧に歌を歌う。歌そのものや、歌うことへの敬意すら感じるほど、歌唱する姿が美しいのだ。歌っていないときの推しの顔はもちろん、歌っているときの推しの顔は最高だ。そう思いながら双眼鏡を覗く私に、愛媛公演では普段とは違う感情が生まれた。真上の正面のような座席で、いつもとは異なる視点だったせいだろうか、TAKAHIROさんの歌う姿を俯瞰で見ていたら「ファンになる前にテレビでみてた人だ!!その人のライブに今いる!?」と突然脳がバグって心臓がドキドキした。遠い人が近くにいる。


頭がバグったまま、「すごい人のファンになったんだなあ」と思ったら急に涙が止まらなくなった。


そしてこの日、会場の中で誰よりも後ろにいたというのに私は彼が目の前で歌っているような錯覚を覚えるほど、歌がぐさぐさと心の柔らかい場所に刺さったのだ。アンコール前に「泣きすぎて死ぬ」とタオルで顔を擦ってる私の横で、同担の友人もまた「今日は本当にやばい」と滲んだ目を擦っていた。この日の歌声は確かに後方にいる私たちに届きすぎなほど届いていた。


そして愛媛公演が終わり、好きだなと思う気持ちがどんどん溢れてきた。ドキドキした。この人のことを応援したいと、これからいく先を見てみたいと強く思った。語彙力を失ったオタクなので、この気持ちに名前はつけられない。ただひたすら敬浩さんが好きだと感じた。同じような気持ちを抱えた友人と夜の松山の街を歩きながら「私たちの推しには伸び代しかない」という話をしたのを覚えている。次はなにをしてくれるのだろう、という期待や興味が止まらない。そういった感情をまとめてぎゅっとすると、好きというシンプルな気持ちになる。


そして私はこの後、愛媛公演を反芻しながら「推しとコミュニケーションが取れてしまった」などと考えたのだ。もちろん直接話したわけではないし、最前で目が合ったわけでもない。使い古された世迷言のようなものだけれど、私は確かに歌から彼の気持ちを受け取った。そして、ファンクラブイベントというステージで客席と交流しながらリラックスした笑顔を見せ、当時は口に出来なかったというスランプの話を過去として話したりする姿に、「あ、応援していいんだ。ファンって透明じゃなかったんだ。ちゃんと力になることあるんだ」とストンと付き物が落ちたような気がした。


そして、どこかの公演で、彼はさらりと私たちに向かって「ファミリーだ」と言った。EXILE TRIBEFC名とかけた何気のない言葉だけれど、ファンという存在に、何か預けてもらえてる部分があるんだなと思ってまた泣いた。


ステージとこちら側には透明な何かがある。私はこれまでそれを、ぶ厚い壁やベールのようなものだと思っていた。でも実際には客席とステージをさらにキラキラと輝かせるための、薄いフィルターのようなものなのかもしれない。


どうにも性分が向いておらず、応援が力になる、なんて1番信じてない言葉だった。それをぶん殴ってくれたのは、TAKAHIROさんの歌と、ステージの上でのリラックスした姿だった。心を開いてないのは自分の方だったんだなあ、と感じつつ挑んだ熊本宮崎公演では、さらに新鮮な気持ちで公演を楽しむことができた。


あえてこの言葉を使うと、客席からのを彼はちゃんとステージの上から同じような何かで返してくれる。ファイナルを迎える前に、それに気づくことができて本当によかった。オタクとしての、第二の自我の目覚めである。


私は今までもこれからも、EXILE TAKAHIROさんを推させていただいております。推させていただいております!!!!

HIGH&LOWをみてブラック企業を辞めた話

はじめましてとこんにちは。

前回のこれが思ったよりも色んな方に読んでいただけてうれしかったです。

gold-applepie.hatenablog.com

 

ツイッターランドに長くいすぎて140文字以上を書くのがすっかり苦手になってしまってめちゃくちゃ時間空いたのですが、そもそもなぜオタクがLDHを追うようになったのか、という大昔に書いてた日記をちゃんと終わらせてみました。

ハイローに触れて大海を知り、ブラック企業を退職した女の話です。


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 ことは一年半ほど前、昨年の一月に遡る。

当時残業代が1時間300円のブラック企業IT土方をしていた私は、年末から年が明けてからの目の回るような忙しさに辟易していた。

 

オマケに会社では誰かが社畜根性で出勤して持ち込んだインフルエンザが大流行していて、課の三分の一が常に休んでいるような有様だった。

 

仕事は常に人手が足りず、毎日終電近くまで仕事をして朝7時前には家を出る生活。昼に食べる日清のカレーヌードルと夜ベッドの中でソシャゲの画面をタップすることしか平日に楽しみはなく、土日は遊んでいても月曜の仕事のことを考えてサザエさんが始まるより先に憂鬱を拗らせていた。

 

しかしとある朝、異常な寒さと全身の倦怠感と共に目が覚めたのだ。私は「これは課内で大流行しているあれだ!会社が休める!」と思い、意気揚々と病院へと向かった。とにかく休みが欲しかった。

 

しかしインフルエンザが大流行しているのは当然世の中も同じで、診療所の小さな待合室はマスクをした顔色の悪い人たちで溢れていた。受付番号をもらうと、私の前には15人ほど診察を待つ人がいるようで、なんとか座れたソファの端でぼんやりとスマホをいじることになった。

 

待合室でいつも通りだらだらとツイッターを目で追いながら、ふと1つのブログへの引用が気になった。それは誰かの書いたブログで、HIGH&LOWについて登場人物の紹介や、鑑賞順などが事細かに記載されていた。

 

暇つぶしに話のタネになるかなーくらいの気持ちで読んだこのブログがきっかけで半年の間に20回以上ライブに通い、登坂広臣を追いかけて初遠征を長野に捧げたり、一ミリも興味のなかった音楽番組にかじりついたりすることになるなんてこの時はまさか思いもしなかった。

 

そしてこの場所で、生まれてこの方2次元しか愛せず、暇さえあればソシャゲのイベントに時間を費やす疲れたオタクOLに転機が訪れるのである。

 

HIGH&LOWといえば、なんかEXILE?的な人たちのマジすか学園で、あまみや兄弟?がいて、一時期オタクがドカドカそのジャンルに沼っていった、といったくらいしか知識がなかったのだ。

 

記事ではHIGH&LOWの魅力が丁寧に紹介されていて、その中でURLの貼られていた各チームごとの映像を見た瞬間、「あああこれ観たいやつ!!!!」と一気に血圧が上がったのを覚えている。

顔が良くてガタイのしっかりした男たちが、バッチバチにめかし込んだり、ヤンキーよろしく髪をオールバックなんぞにして派手なアクションを繰り広げる。今時アニメでも見かけない作りこまれた映像を三次元で見られるとは思わず、体調不良も忘れてYouTubeの公式プレイリストを食い入るように見続けた。

 

このとき特に目が離せなかったのがRUDE BOYSの映像で、パルクールでのアクションと音楽の爽快感に頭を殴られたような気がした。つまり、私のハイローはスモーキーから始まったと言っても過言ではない。

 

実のところ、初めはHIGH&LOWというコンテンツに惹かれていただけでLDHにはまったくもって興味を持っていなかった。オタク特有のEXILEアレルギーを学生時代から引きずっていた私は、窪田正孝ら俳優目当てという名目でハイローに手を出したのだ。

 

それがまさか一か月と待たずに中目黒に赴いて登坂広臣の写真集を手に取るのだから、人生はなにが起きるかわからないものである。

(更に数ヶ月後にはSECONDのライブのために有休をとって誕生日を幕張で過ごした)

 

話は戻り、RUDE BOYSのことしか考えられないまま診察は終わった。ただの風邪だった。そして私はその足で近所のレンタルショップに向かってHIGH&LOW THE MOVIEとベストアルバムを借りて、その日のうちにドラマとライブ目当てにHuluとdtvに登録したのだった。

 

「どうせ特撮ヒーローみたいなんでしょ」と思っていた映像は想像の100倍重厚で、「言うても3次元じゃん」と思っていた男たちの見た目はもはや2次元と同等かそれ以上に整っていた。さらに顔だけじゃなくて、彼らは体のバランスさえも完璧だった。

 

映画から入って訳わからんと思いながら見ていたストーリーも、ドラマなどで補完していくと全体がわかるようになり、リミッターを外したグレートティーチャー鬼塚と思っていた琥珀さんの、周囲から取り残されていくような悲しみに共感が生まれた。物事の変化を嫌うオタクにとって、琥珀さんの孤独はあまりにも深く心に刺さるのだ。

 

ここまで24時間かからず、私は具合が悪いのも忘れてひたすらHIGH&LOWを摂取し続けた。あれほど休んではいけない、と思っていた仕事も、休んでみたらただの有給だった。世界にはこんな面白いものがあったのかと、久しぶりに視界が開けたような気がした。

 

しかし、ここまできても私はまだEXILEへのアレルギーを捨てきれず、俳優陣が好きなだけ、という顔をしていたのだ。物心ついたときからオタクなので…。

 

最初に好きになったのが窪田正孝演じるスモーキーなのは、おそらく東京ドーム10個単位のオタクが通った道だろう。病弱で独特の影があるが、家族への情に厚く喧嘩に強い男。そんなの嫌いなオタクはいるだろうか。

 

ハイローには他にも、漫画でも見かけないような設定特盛のキャラが沢山いて、それらを最高に顔のいい役者が演じているものだからどんなにEXILEアレルギーが激しくても楽しくコンテンツに入り込めてしまうのだ。(しかもアレルギーと言いつつ、私は彼らの顔がわからなかったので最初誰がEXILEなのかすらよくわかってなかった。TAKAHIROさんとAKIRAさんしかわからなかった)

 

それから私は、次の日にはドラマを完走し、ライブを完走し、そしてそこで登坂広臣と出会う。


あなたのLDHはどこから?私はザラの登坂広臣です。

 

ハイローには各チームや一部の人物にテーマソングがあって、LDH所属のアーティストがそれぞれ様々なジャンルの曲を提供している。最初にDVDと共にアルバムも借りていて、どれも良い曲だなーと漠然と思っていたもの、俳優陣がほとんど出ていなかったのは前情報として知っていたため、軽い気持ちでザラと呼ばれるハイローライブを再生した。そして、まずそのステージ構成に驚いた。アリーナで車が走ってるし、バイクが空飛んでるぞ???そう、ザラはなんとドームのアリーナを全てステージとして使っているのだ。

 

そんなエンターテインメントとしてあまりにも完成度の高い映像に夢中になっていると、すぐさま三代目J SOUL BROTHERSが登場した。この時点では実は誰も顔を認識できていない。音楽番組もろくに見ないオタクだったので、彼らを三代目としてちゃんと意識してパフォーマンスをみたのがこの時初めてだった。

 

そして私は再び衝撃を受ける。こんなに一生懸命歌ってパフォーマンスをするグループだったのか!?というのが、まず感想としてあった。

 

なんとなくタイアップなどで聞いたことのあるような音楽は耳慣れていて少しも抵抗感はなかったし、全身を使ったパフォーマンスは華やかだし、椅子を使った演出があまりにも性癖に刺さったし、ギター弾きだす人はめちゃくちゃにかっこいい。そしてボーカルが歌を歌いながら踊ったり、魅せるための動きをするのがとても新鮮だった。そして、J.S.B DREAMになるとみんな脱ぎ出し、滝のように汗をかきながら歌い踊る。遠くスタンドにいる観客を煽り、カメラへのアピールも欠かさない。これは彼らが一番の主役ではないオムニバスのライブなのに、何というプロ意識だろう。

 

ちなみにあまりにも人の顔が覚えられなすぎて、真ん中分けの金髪で三代目J SOUL BROTHERSとして歌う彼が、ハイローの雨宮広斗だと気づいたのはSINを歌うためにTAKAHIROと2人でバイクに乗って再登場したときだった。最初にSINを歌う二人を、競い合うようにマイクに齧り付く雨宮兄弟を見たとの衝撃を、多分私は忘れないと思う。はちゃめちゃにかっこよかったし二次元より二次元だった。

 

そして後に、RUDE BOYSのチームのテーマソングを歌うGENERATIONSのライブ行きたさにFCに入る頃には(悩んでいたらジャニオタの友人に「ライブに行くなら絶対FCは入れ!!」と言われてその場で入会した)、EXILEアレルギーは自然治癒され、私は次元を跨いだオタクへとバージョンアップを遂げたのだった。

 

現在、この沼に来てから一年と半年と少しほど。私は相変わらずLDH全般のおっかけをしている。巡り巡ってEXILE TAKAHIROのオタクになって全国を駆け回っていることなど(【TAKAHIRO 道の駅2019で全国行脚する限界オタクの備忘録1】https://togetter.com/li/1409721)、残業代300円の頃の私は想像もできていなかっただろう。

 

ところで、ここ数年でEXILELDHを好きになった周囲の人たちが割と口を揃えて「EXILEは転職に効く」「有休消化に効く」「人生が変わった」と話すので、そのたびに大笑いしているのだが、あながち間違いではないのかもしれない。

私も何万人ものファンの期待を背負い、全力でパフォーマンスをして自身を磨き続ける彼らを追ううちに「こんなところで人生を浪費している場合じゃない」というストロングな気持ちになって、ブラック企業を退職した。ハイローに触れてからわずか4ヶ月、退職を上司に告げる時のBGMはMUGEN ROADだった。今は自分のペースで無理なく仕事をしながら、健康的で文化的な生活を送って推しを推している。


食わず嫌いの人が多いジャンルだと思うのだけれど、なんとなく苦手だなーと思う人がいたら、彼らのライブでのパフォーマンスを映像などで見てほしい。おもったよりもこわくないよ。


そして、人生に躓いたらHIGH&LOWを観てください!!!!!!(どうしてもこれが言いたかった)

オタク、三次元の推しがEXILE

ブログを作ったら、とりあえず推しへの愛を綴りたいと思っていた。その中でとりあえず推しに出会ったきっかけなど書き記しておきたいと思う。

 

自己紹介を少しだけすると、私は昨年突然EXILEをはじめとするLDHの作りだすエンタメに頭を殴られ、やたらとライブに通うようになった二次元が産地のオタクである。

 

小学生からオタクを拗らせ、近年は2.5次元にも手を出したりしていた成人済みの立派なアニメや漫画やゲームを嗜むタイプのオタクだ。ソシャゲでアイドルを育てて毎月5ケタくらい課金していた時期もある。EXILEは普通に怖かった。なんか強そうで。

 

そんな明らかに畑違いの私は、一年と少し前にHIGH&LOWをきっかけにしてLDHに触れて、そしてEXILE TAKAHIROに出会った。ついでにやたらと明るい気分になってブラック企業をやめた。

 

何が起きたのか自分にもよくわからねえ、でも推しは最高にかっこいい。ここから先はそんな話をしていきたい。

 

あなたのEXILE TAKAHIROはどこから? 私は雑誌のインタビューから!!!! 

 

私はEXILE TAKAHIROさんが好きだ。その理由をどう書き記せば気持ち悪くならないか考えたけれど、もともとがキモオタなのでどう書いてもあまりにもねちょっとした湿度高めの言葉しか浮かばない。

 

整った愛嬌のある顔が好きだし、スタイルが良いところも脚が体の半分以上ありそうなところも好きだし、筋肉も好きだしストイックなところも好きだし、人柄も好きだし、ファンに対する態度も大好きだし、演技も本当に好きで、とにかくファンに見せてくれている姿全てが好きなのだ。

 

敬浩さんを知った最初のきっかけはHIGH&LOWだったため、“雨宮雅貴”として敬浩さんのことを覚えていた私は、もしかしたらある種二次元染みた存在として彼を認識していたのかもしれない。既に国民的なグループのフロントマンであり、めちゃくちゃに人気な大スターというイメージが強くて、2次元にしか興味を持たなかった私にはどこか遠い存在のように思えたのだ。

 

しかし、ある日、偶然立ち読みした雑誌のインタビューで敬浩さんが「7年間スランプだった」と語っていたのを読んで、この人すごく”人間”だぞ…。と強く頭を打たれたような気持になったのを、今でも覚えている。

 

EXILE TAKAHIROの名前は、ブラジルと日本くらい正反対の畑にいた私でも知っている程のビッグネームだ。ハイローを観る前から唯一わかるEXILEがTAKAHIROとAKIRAさんとHIROさんだったくらい、エンタメ解像度350dpiだった私の瞳にも認識できていた存在だった。

 

そんな彼がデビュー12年目にして長期のスランプを語るのが不思議で仕方がなかったし、それを一人で抱え続けていて、折り合いをつけてから自分の口で告白する強さに惹かれた。

 

そのインタビューを読んで以降、敬浩さんのことが気になって仕方がなくなって、調べれば調べるほど、そのプロ意識の高さと朗らかな人柄に惹かれていった。

 

そしてさらに決定打となったのは、そのあとすぐに公開されたシネマファイターズのウタモノガタリだった。短編映画のアンソロジーのようなこの作品の一作で、敬浩さんは短編映画初主演を務めた。

 

2.5界隈やジャニーズなどに比べるとこの界隈ではあまり新規という言葉は使われていないイメージだけれど、私が敬浩さんを好きになった理由はウタモノガタリと付近のインタビューやイベントに詰まっているので、強いて言うならウタモノガタリ新規である。

 

舞台挨拶当日、運良く舞台挨拶のチケットを手に入れた私は映画館の入っているショピングモールで突然コンタクトの度数を上げるという謎の気合をもってド緊張のまま座席に座った。

 

B列だから二列目だと思ったらA列にひとがいなくて、なおかつ座席がセンターだった。推しの舞台だったらあまりの近さに開始前に手汗がとまらなくなるやつである。それでも私はこの日が敬浩さんを生でみる初めての日だったので、言うてもテレビで見たことあるしな!円盤もみたしな!耐性あるよ大丈夫!となぜか強気だった。

 

舞台挨拶は上映後のため、先にウタモノガタリを観たのだけれど、私はこの映画自体がめちゃくちゃに刺さってしまった。ショートムービーのオムニバスのため全てが肌に合ったわけではないが、コンセプトや映像と役者の演技、そして各テーマソングのクオリティの高さなど刺さったものが多くて、この後舞台挨拶もないのに三回くらい観に行ってしまった。

 

当時、感想や考察を長々とメモしていたので、そのうちまとめて記事にしたいと思う。

 

ウタモノガタリの中で特に深いところに刺さったのは、やはり敬浩さんが主演を務めるカナリアだった。題材になっているのは2011年に発生した東日本大地震、福島での津波、そして原発事故。あの日、この国では様々なことが起きて、当時都内で学生だった私も学校から家に帰ることができず、家族とも連絡が取れない中で教室にひいた段ボールの上で一晩過ごしたことを今でも覚えている。

 

カナリアで描かれるのは、あの日の後も福島の地で生きる人間の姿だ。どこか客観的な映像の中、激昂や、どうしようもないやるせなさ、そして悲しみが静かに描かれる。最後にのぞいた微かな希望のようなものも、それが幸福なのかどうかは明確に示されてはいない。映像の中にはただ、あの日から先の人生が続いていた。

 

この20分もない映像の中で、とにかく敬浩さんの演技は驚くほど福島の地に溶けていた。事前に観ていたライブ映像でのEXILE TAKAHIROとはもちろん重ならず、ハイローで見せた演技とも異なった姿。

 

ミーハーなりに様々な映像や舞台コンテンツに触れてきていたとは思うけれど、敬浩さんの静の演技は少し特殊なように感じた。静かなのに目を惹きつけるのだ。

 

エンドロールが流れる間、この映画に出てきた人物たちはきっとこの世界のどこかにいるんだろうな、という気持ちになった。

 

そして、カナリアの上映はウタモノガタリの中で最後のため、余韻に混乱しているうちに本人が目の前に登場した。2メートル先に敬浩さんがいるのだ。

 

映画の余韻がとか、自分の顔が何かいろいろな液体でぐちゃぐちゃだとか、そういうものが一気に吹き飛んだ。私は語彙力と記憶力を失った。こんな人類がこの世にいたのか、顔が良すぎる、足が長すぎる。かっこよすぎる。

 

なによりも、目が綺麗だった。カナリアで怒りと悲しみを映していた瞳はそこにはなく、ライトの光を受けたキラキラと瞳が観客にやさしく向けられていた。それに気づいて私は、あーこの人のことすごく好きだな、と思った。

 

ふわふわした気持ちで劇場を出て、その日はずっとぼんやりとウタモノガタリのことや、敬浩さんのことを考えていた。

 

ちょうどブラック企業の呪いが溶けてきて、自分の力で自分の時間を生きていこうと決めた頃だったので、20代で自分の人生を大きく変えて、その先を生き抜く敬浩さんの強さは私の勇気にもなった。

 

いろいろな重圧のようなものを抱えていて、それでも一つも無下にせずにすべて背中に抱えてまっすぐに生きていくひとなんだな、という最初に持った敬浩さんへの印象は今でも変わらず私が彼を推す根源になっている。

 

あと正直言うとお顔がめちゃくちゃに好みだった。私は可愛い顔が大好きだ。そして背が高くて体つきがしっかりしているのもめちゃくちゃにかっこよかった。私は筋肉が好きだ。この二つを兼ね備えた人間、人類ではおそらく少数である。

 

そんなこんなで生まれてこの方2.5以上の次元に触れてこなかったオタクは、EXILE TAKAHIROに出会い、今日まで狂い続けてきた。

 

インタビューを読んだあの日から約一年ほど経ったのだけれど、毎日好きな気持ちが加速していくばかりである。

 

この界隈に来てから誰かに新規呼ばわりされたことはないけれど、私は紛れもなく新規のファンである。

 

MOJOは観られなかったし、ハイローの舞台挨拶だって観たことがない。もっと早く知っていれば、という思いは定期的にチリチリと痛む。でも、新規だということを恥じてはいないし、卑屈な気持ちにもなったりはしていない。

 

それは全然違うジャンルにいた私が、2018年に敬浩さんに出会ってファンになったということ自体が敬浩さんの活動が今も遠くにいる誰かに届き続けている証明になったような気がするからだ。

 

私がオタクだったから彼が好きになったわけではないけれど、生き方だとか活動の軌跡に通った一本の軸の強さに、精度の高いストーリーに触れたような感情の高ぶりを感じるから、その先も見たいと強く感じるのかもしれない。

 

ともあれ、難しいことを抜きにしても敬浩さんがデビューから10年以上経った今も様々なことに挑戦して、ずっとキラキラ輝いていてくれていたから遠いところからでも見つけられたのだ。

 

激重感情を隠さずに言うと、敬浩さんこそ私の推しとしての”運命の人”だったなと真剣に思っている。