だから好きだってイったじゃない!

ラブドリームハピネスッ

オタク、三次元の推しがEXILE

ブログを作ったら、とりあえず推しへの愛を綴りたいと思っていた。その中でとりあえず推しに出会ったきっかけなど書き記しておきたいと思う。

 

自己紹介を少しだけすると、私は昨年突然EXILEをはじめとするLDHの作りだすエンタメに頭を殴られ、やたらとライブに通うようになった二次元が産地のオタクである。

 

小学生からオタクを拗らせ、近年は2.5次元にも手を出したりしていた成人済みの立派なアニメや漫画やゲームを嗜むタイプのオタクだ。ソシャゲでアイドルを育てて毎月5ケタくらい課金していた時期もある。EXILEは普通に怖かった。なんか強そうで。

 

そんな明らかに畑違いの私は、一年と少し前にHIGH&LOWをきっかけにしてLDHに触れて、そしてEXILE TAKAHIROに出会った。ついでにやたらと明るい気分になってブラック企業をやめた。

 

何が起きたのか自分にもよくわからねえ、でも推しは最高にかっこいい。ここから先はそんな話をしていきたい。

 

あなたのEXILE TAKAHIROはどこから? 私は雑誌のインタビューから!!!! 

 

私はEXILE TAKAHIROさんが好きだ。その理由をどう書き記せば気持ち悪くならないか考えたけれど、もともとがキモオタなのでどう書いてもあまりにもねちょっとした湿度高めの言葉しか浮かばない。

 

整った愛嬌のある顔が好きだし、スタイルが良いところも脚が体の半分以上ありそうなところも好きだし、筋肉も好きだしストイックなところも好きだし、人柄も好きだし、ファンに対する態度も大好きだし、演技も本当に好きで、とにかくファンに見せてくれている姿全てが好きなのだ。

 

敬浩さんを知った最初のきっかけはHIGH&LOWだったため、“雨宮雅貴”として敬浩さんのことを覚えていた私は、もしかしたらある種二次元染みた存在として彼を認識していたのかもしれない。既に国民的なグループのフロントマンであり、めちゃくちゃに人気な大スターというイメージが強くて、2次元にしか興味を持たなかった私にはどこか遠い存在のように思えたのだ。

 

しかし、ある日、偶然立ち読みした雑誌のインタビューで敬浩さんが「7年間スランプだった」と語っていたのを読んで、この人すごく”人間”だぞ…。と強く頭を打たれたような気持になったのを、今でも覚えている。

 

EXILE TAKAHIROの名前は、ブラジルと日本くらい正反対の畑にいた私でも知っている程のビッグネームだ。ハイローを観る前から唯一わかるEXILEがTAKAHIROとAKIRAさんとHIROさんだったくらい、エンタメ解像度350dpiだった私の瞳にも認識できていた存在だった。

 

そんな彼がデビュー12年目にして長期のスランプを語るのが不思議で仕方がなかったし、それを一人で抱え続けていて、折り合いをつけてから自分の口で告白する強さに惹かれた。

 

そのインタビューを読んで以降、敬浩さんのことが気になって仕方がなくなって、調べれば調べるほど、そのプロ意識の高さと朗らかな人柄に惹かれていった。

 

そしてさらに決定打となったのは、そのあとすぐに公開されたシネマファイターズのウタモノガタリだった。短編映画のアンソロジーのようなこの作品の一作で、敬浩さんは短編映画初主演を務めた。

 

2.5界隈やジャニーズなどに比べるとこの界隈ではあまり新規という言葉は使われていないイメージだけれど、私が敬浩さんを好きになった理由はウタモノガタリと付近のインタビューやイベントに詰まっているので、強いて言うならウタモノガタリ新規である。

 

舞台挨拶当日、運良く舞台挨拶のチケットを手に入れた私は映画館の入っているショピングモールで突然コンタクトの度数を上げるという謎の気合をもってド緊張のまま座席に座った。

 

B列だから二列目だと思ったらA列にひとがいなくて、なおかつ座席がセンターだった。推しの舞台だったらあまりの近さに開始前に手汗がとまらなくなるやつである。それでも私はこの日が敬浩さんを生でみる初めての日だったので、言うてもテレビで見たことあるしな!円盤もみたしな!耐性あるよ大丈夫!となぜか強気だった。

 

舞台挨拶は上映後のため、先にウタモノガタリを観たのだけれど、私はこの映画自体がめちゃくちゃに刺さってしまった。ショートムービーのオムニバスのため全てが肌に合ったわけではないが、コンセプトや映像と役者の演技、そして各テーマソングのクオリティの高さなど刺さったものが多くて、この後舞台挨拶もないのに三回くらい観に行ってしまった。

 

当時、感想や考察を長々とメモしていたので、そのうちまとめて記事にしたいと思う。

 

ウタモノガタリの中で特に深いところに刺さったのは、やはり敬浩さんが主演を務めるカナリアだった。題材になっているのは2011年に発生した東日本大地震、福島での津波、そして原発事故。あの日、この国では様々なことが起きて、当時都内で学生だった私も学校から家に帰ることができず、家族とも連絡が取れない中で教室にひいた段ボールの上で一晩過ごしたことを今でも覚えている。

 

カナリアで描かれるのは、あの日の後も福島の地で生きる人間の姿だ。どこか客観的な映像の中、激昂や、どうしようもないやるせなさ、そして悲しみが静かに描かれる。最後にのぞいた微かな希望のようなものも、それが幸福なのかどうかは明確に示されてはいない。映像の中にはただ、あの日から先の人生が続いていた。

 

この20分もない映像の中で、とにかく敬浩さんの演技は驚くほど福島の地に溶けていた。事前に観ていたライブ映像でのEXILE TAKAHIROとはもちろん重ならず、ハイローで見せた演技とも異なった姿。

 

ミーハーなりに様々な映像や舞台コンテンツに触れてきていたとは思うけれど、敬浩さんの静の演技は少し特殊なように感じた。静かなのに目を惹きつけるのだ。

 

エンドロールが流れる間、この映画に出てきた人物たちはきっとこの世界のどこかにいるんだろうな、という気持ちになった。

 

そして、カナリアの上映はウタモノガタリの中で最後のため、余韻に混乱しているうちに本人が目の前に登場した。2メートル先に敬浩さんがいるのだ。

 

映画の余韻がとか、自分の顔が何かいろいろな液体でぐちゃぐちゃだとか、そういうものが一気に吹き飛んだ。私は語彙力と記憶力を失った。こんな人類がこの世にいたのか、顔が良すぎる、足が長すぎる。かっこよすぎる。

 

なによりも、目が綺麗だった。カナリアで怒りと悲しみを映していた瞳はそこにはなく、ライトの光を受けたキラキラと瞳が観客にやさしく向けられていた。それに気づいて私は、あーこの人のことすごく好きだな、と思った。

 

ふわふわした気持ちで劇場を出て、その日はずっとぼんやりとウタモノガタリのことや、敬浩さんのことを考えていた。

 

ちょうどブラック企業の呪いが溶けてきて、自分の力で自分の時間を生きていこうと決めた頃だったので、20代で自分の人生を大きく変えて、その先を生き抜く敬浩さんの強さは私の勇気にもなった。

 

いろいろな重圧のようなものを抱えていて、それでも一つも無下にせずにすべて背中に抱えてまっすぐに生きていくひとなんだな、という最初に持った敬浩さんへの印象は今でも変わらず私が彼を推す根源になっている。

 

あと正直言うとお顔がめちゃくちゃに好みだった。私は可愛い顔が大好きだ。そして背が高くて体つきがしっかりしているのもめちゃくちゃにかっこよかった。私は筋肉が好きだ。この二つを兼ね備えた人間、人類ではおそらく少数である。

 

そんなこんなで生まれてこの方2.5以上の次元に触れてこなかったオタクは、EXILE TAKAHIROに出会い、今日まで狂い続けてきた。

 

インタビューを読んだあの日から約一年ほど経ったのだけれど、毎日好きな気持ちが加速していくばかりである。

 

この界隈に来てから誰かに新規呼ばわりされたことはないけれど、私は紛れもなく新規のファンである。

 

MOJOは観られなかったし、ハイローの舞台挨拶だって観たことがない。もっと早く知っていれば、という思いは定期的にチリチリと痛む。でも、新規だということを恥じてはいないし、卑屈な気持ちにもなったりはしていない。

 

それは全然違うジャンルにいた私が、2018年に敬浩さんに出会ってファンになったということ自体が敬浩さんの活動が今も遠くにいる誰かに届き続けている証明になったような気がするからだ。

 

私がオタクだったから彼が好きになったわけではないけれど、生き方だとか活動の軌跡に通った一本の軸の強さに、精度の高いストーリーに触れたような感情の高ぶりを感じるから、その先も見たいと強く感じるのかもしれない。

 

ともあれ、難しいことを抜きにしても敬浩さんがデビューから10年以上経った今も様々なことに挑戦して、ずっとキラキラ輝いていてくれていたから遠いところからでも見つけられたのだ。

 

激重感情を隠さずに言うと、敬浩さんこそ私の推しとしての”運命の人”だったなと真剣に思っている。